七曜日のこと。

三十代最後の夏。あらゆることを忘却していく日常に人知れず危惧を憶え、一週間ごとの日誌をつけることにした。できるだけとりとめのない事柄を書き留めてみる。

第八週。お店でお茶を出せれば、農家の収入を増やせる。

九月三日月曜日。

超大型台風が明日、西日本を直撃するらしい。風速は六十キロメートルとも予測されている。

知人からテープ起こし同然の原稿を頼まれたが、丁重に断った。今週は暇なのでその気になればできるが、雑務仕事が増えるのは本意ではないので一線は引いておく。それでも今後、取材をしてテープ起こしをする機会はざらにあると思い、アイフォーンにアプリをダウンロードして機械的な筆耕を試してみた。最新の音声入力技術を持ってすれば、実用に耐えうる精度になっていることを実感した。こうなると、むしろ早く使ってみたい気さえしてきた。

夜、映画『ジャコメッティ』。最晩年のポートレイト制作のモデルとなった男性を通して、巨匠ジャコメッティの姿を描く。描いては消し、描いては消して、予定の日程をはるかに過ぎても延々と迷い続ける画家。自分で何が正解か判らなくなっているのだ。信頼を置く兄から「よく描けているよ」と言われると、「そうか」と納得するエンディング。ジャコメッティでさえそうなのかと驚かされた。ところで作中で「イサク」と呼ばれる日本人が出てくるのだが、西村伊作だろうか。

 

九月四日火曜日。

おびただしい雨が降り、強風とともに通り過ぎていく。今日は外出せずに仕事場で過ごす。原尞の「さらば長き眠り」を再読する。デビュー三十年で小説は六冊という寡作の作家でありながら、すでにして生きる伝説の天才作家。「さらば長き眠り」は九五年の発表だが、今読んでも文句なく面白い。

COFFEE&CO.から取り寄せたエチオピア産イルガチェフの浅煎りを飲む。すっきりしたジューシーな酸味。やはり鮮度のいい珈琲豆は美味しい。

映画『犬ヶ島』。ウェス・アンダーソンが架空の日本を舞台に作ったクレイアニメ。いつものウェス作品と同様これといった内容やテーマはなく、コケティッシュな画づくりで全篇見させてしまう。

 

九月五日水曜日。

東京は台風に襲われなかったものの、関西は甚大な被害になっている。関西空港が水没し、復旧の見込みが立っていない。台風によって南の海上の熱気が運ばれてきたらしく、再び日中は猛暑が戻った。

自転車で母の家に寄り、昼食をとる。Juttoku.で明後日の祝い品を買う。社長と立ち話をする。来週「ヒルナンデス」で特集される話や、店先で奈良の緑茶を出せないか検討している話を聞く。「お店でお茶を出せれば農家の収入を増やせるので」と一番の理由に挙げたところに感銘を受けた。普通は、自分のお店の売上が増えることや道ゆく人への宣伝効果を見込みそうなものなのに。

田中圭一の漫画「うつヌケ」を読んでから、うつ病の体験談を二冊まとめて読む。

うつ病とは結局バーンアウトによって、セロトニンなど脳内伝達物質の欠如が引き起こす「脳の病気」なので、「休養」と「投薬治療」と「認知行動療法」を地道に行うのが有効なのだろう。自分がアトピーの一番酷かった時期を思い出して同情を禁じ得ないし、十年前の会社勤めを思うと、意外とうつ病に罹る因子がそばにあったことに思い至る。「自己裁量権」の多寡は重要だし、「頑張る」ことが「無理をする」ことと同義になっている職場環境では危ういだろう。会社員ではなかなかどちらも得ることは難しい。

今は一人で仕事をしているので、毎度できるかぎりの力を出し切るようにしながらも、「今回はここまで」という線引きがはっきりする。あくまでも「できるかぎり」のことをする。もし積み残された課題があれば、次回取り組もうと割り切る。プロには次がある。そして締切もある。その枠内で準備からアウトプットまで「できるかぎり」のことをする。できないことはしない。その基本姿勢がうつ病の水際防止になることを本を読みながら再確認した。

 

九月六日木曜日。

真夜中三時、北海道で震度6強の大地震マグニチュード6.7。深夜放送はテレビショッピングを中止し、地震速報番組に切り替え、官房長官は四時前に記者会見。札幌では停電発生。泊原発は外部電力を喪失し、非常用電源に切り替えているとニュースが伝えている。一昨日の台風に続き、今度は地震だ。国中が災害慣れというか災害疲れしている。

午後、銀座の病院に行き、帰りにGINZASIXの蔦屋書店を覗き、ミッドタウン日比谷のTODAY’S SPECIALを覗く。何も買わなかったが、大量の本と雑貨を眺めるだけで触発される。

映画『ルイの9番目の人生』と『修道士は沈黙する』。どちらも期待はずれだったが、映像が綺麗なのでどうにか最後まで見通せた。

今日の気温は三十度と予告されていたが、思いのほか涼しかった。夏はいよいよ過ぎ去りつつある。あまりの暑さから頭をかがめてどうにかやり過ごすように山場を越えた。

 

九月七日金曜日。

一週間ぶりに仕事の打ち合わせに出向く。気分転換になっていい。

コピーライターを十数年やってきて思うのは、本当にオリジナルな表現を求められるのは、ごくひと握りの超一流の人だけという現実だ。自分も含めた大半の一流、二流、三流の製作者にとって「オリジナリティ」は最優先事項ではない。これは仕事を始める前のイメージとは大きくギャップを感じた箇所だった。今までにない新しい表現を生み出し、そのフォーマットで業界を一変させることを自らに課す人もいるが、それは本当に例外的な存在で、ほとんどの「クリエイター」はさしたる自覚もなく模倣に明け暮れる。むしろ、素早くそつなく「上手な模倣」ができる器用さこそ、能力の証であったりする。

そこにはいくつかの事情がある。まず、受け手の側にそもそもオリジナリティを受容するリテラシーがあるとはかぎらないので、大半の作り手がオリジナリティを追求したとしても好意的に受け取られることが少なく、むしろ痛い感じに捉えられて機能しない事情がある。次に、これはコピーライティングに限定した話かもしれないが、制作物は所与の条件の調整結果であることが多く、制約の中でいかに最適解を導くかというところに注力することになるため、手っ取り早く「既存フォーマット」に乗せたほうがうまくいくことが経験的に判然としてしまう事情がある。オリジナルにこだわるより流行の感度が敏感であるほうが結果にも繋がりやすい。あとはそれを能弁に正当化できるかが重要な力量になる。

しかし、これはじつは広告に限らずほとんどの表現分野でも共通して言えることかもしれない。真に新しい表現を切り拓ける人は、十年に一人もいない。現場では何が必要とされていて、どんな動き方を期待されているかに応えられるほうが重宝されてしまう。あるいは現場の仕切りが巧く、一定以上のクオリティに導ける確実性のほうが求められる。じつにつまらない。そんなことを考えあぐねながら打ち合わせを終えた。

今夜は前の会社の同僚の結婚祝いで奥さんを紹介してもらう予定になっていたが、彼から留守電が入り、仕事が立て込んだのでキャンセルしてほしいと告げられた。向こうが指定した日時にも関わらず、しかも一昨日にはわざわざ電話をよこして日程を念押しされた上だというのに、詫びの一言もなく通達されると祝う気持ちも目減りしてくる。祝い品には賞味期限があるし、今日は品々を持って移動もしていたのでひどく気が抜けてしまった。

大方のドタキャンをする側は「致し方ない事情だ」と当人の中では割り切っているので悪びれる雰囲気がない一方、ドタキャンされた側は「自分が軽んじられている」ことが判明するため気分はすこぶるよくない。仕事の都合と言われれば、声高に非難することもできない。この温度差はなかなか埋めがたい。

やむを得ず帰路につき、カフェGOTOOでコピーノートに新案件のLCMサービスの「コピー百本ノック」を始める。依頼を聞いたその日のうちにコピーノックは始めたほうが質が高くなるので、このゴールデンタイムは逃さないようにした。

 

九月八日土曜日。

一階の仕事場でレコードを流しながら本を読む。今日はビートルズの後期アルバムをレコードで繰り返し聴く。

黒川博行「後妻業」。小説は映画やドラマより、登場人物の目線を通して物語の中に「入っていく」感覚が強い。映画はどうしてもスクリーンを「眺めている」ので、どこか客観的な軸足が残ってしまう。視覚を使わずに言葉から脳内で映像を再生する手間をかける分、不即不離のような一体感が得られる。黒川博行の文章は特に、大阪弁の会話でリズミカルに話を進め、人物や景色の描写は簡潔に留めているため、前に前に駆動する力が強い。ストーリーが巧いのも、悪党の描写が活き活きしているのもあいかわらずだ。手練れの書く小説。一気読みして、圧倒される。もっとこの人の本を読みたいとひさびさに思った。

 

九月九日日曜日。

昼すぎ、弟が取り乱して電話をよこしてきた。離婚するという。

理由を尋ねるが、「妻に暴言を吐かれた」「DVを受けている」と言い募るばかりで要領を得ない。思い込みも激しく、そのような事態に至った経緯に問題があるのではと話しているうちに口論になり、電話は切れた。

八つ当たりまがいにこちらに非を求められても筋違いも甚だしい。おそらく話を聞いて共感した上で「味方」になってほしかったのだろうが、断片的な情報だけを与えられても返しようがなく、即座に諸手を挙げて「大賛成」とはなりようがない。

自分から電話してきたにも関わらず、「放っておいてほしい」と捨て台詞で言って電話が切れたので、望み通り放置しておく。実際クールダウンしなくては話もできない。

スピッツのインタビュー集「旅の途中」を十年ぶりに再読する。

草野マサムネの作詞家としての独特な感じは、2枚目のアルバム「名前をつけてやる」で終わっているのかもしれない。あの頃は、俺以上にこういう詞を書いている人はいないだろう、という自負があった。遠藤ミチロウさんのようにシュールな歌詞をロックに乗せて歌っている人はいたけど、そこにメルヘンも入れて、というのが自分なりのオリジナリティだった。歌詞の参考にするために、大正期のダダイズムの詩人の詩集を読み漁ったり、アイヌのお祭りに行ってみたりとか、およそふつうのロックバンドの曲の作り手が着目しないものに目を留めていた〉