七曜日のこと。

三十代最後の夏。あらゆることを忘却していく日常に人知れず危惧を憶え、一週間ごとの日誌をつけることにした。できるだけとりとめのない事柄を書き留めてみる。

第一週。気狂いピエロ、二百人搬送、制作会社倒産。

七月一六日月曜日。

弟が勤め人を辞し、補習塾の運営を始めたのは先月のことだ。弟夫婦が甥を伴って遊びに来たので具合を尋ねたかったが、二歳の甥は縦横無尽に動き回り片時も目が離せず、ゆっくり話をすることもままならない。甥は新幹線の玩具をテーブル上で走らせて元気に遊んでいる。「こまち」は「こ・ぱっ・てぃ」という感じで、窮屈そうに口を動かしながら発音できるほどに急成長を遂げていた。「はやぶさ」は未だ言えない。「はにゃぷら」になる。濁音の発声が難所らしい。母の実家から届いた西瓜を保育園の知人に配る算段をめぐり弟夫婦が口論をはじめる。二時間の滞在で賑やかな一団が去っていく。

夜はおよそ十年ぶりに『気狂いピエロ』を観る。ジャン=ポール・ベルモンドは当時三十二歳。観客に突然カメラ目線で話しかけるシーンは今でこそ普通に見かけるが、当時は挑発的だったことだろう。面長の顔、くわえ煙草、いなせな仕草、アンナ・カリーナの歌声、地中海の陽光、鮮烈な青。これは真夏に観るのが正しい映画だ。映画とは、坐って光を浴びる体験なのだと思い出させてくれる。地中海には行ったこともないのに、あの青白い陽光はすでに血肉化されている。

 

七月一七日火曜日。

これまでも電子書籍に興味を覚えないわけではなかったが、ずっと紙の本に固執してきたのは、ともするとただの惰性なのかもしれない。そう思ったわけではないのだが、アマゾンのプライムセールの値引きにかどわかされてキンドルを購入した。ペーパーホワイト32GBモデル。Wi-Fiタイプ、キャンペーン情報無し、白のボディカラー。

早速届く。電子書籍の月額読み放題プラン「アンリミテッド」が初月無料で試してみる。本を三冊ダウンロード。前から読みたかった光文社古典新訳文庫の『アウルクリーク橋の出来事/豹の眼』(アンブローズ・ピアス)、『死の家の記録』(ドストエフスキー)、『だまされた女/すげかえられた首』(トーマス・マン)。

ダウンロードと言っても月額制で貸与されている状態で月会費を解約すればデータは消去される。だが、考えてみれば一度しか読まない本であれば、消去されても問題はない。二度読む気になったものだけ紙の本を購入するという使途でもよい。ひとまず電子書籍の使い心地を試してみたい。

夜は『キルビル』を公開時の劇場以来に観た。あいかわらずくだらない。これは褒め言葉。ただタランティーノとは一定の距離を置いて久しいので、今後はもう観ないだろう。九十年代にはあれほど好きだったというのに。あれだけ輝いて見えたミラマックスは消滅し、ハーヴェイ・ワインスタインの悪行の限りが晒された。二十年もあれば、物事は落ち着くところに落ち着く。

家ではDVDをプロジェクターでスクリーン投影して観ているが、DVD再生機が最近読み取り不良でフリーズすることが増え、いよいよ寿命が迫っている。思えば八年以上も健気に稼働していた。『キルビル』でも後編の真ん中あたりで固まり、億劫になってそのまま鑑賞終了した。

 

七月一八日水曜日。

依頼人は元大学教授だった。大学ベンチャーの化学研究所が、自社サイトに恩師の米国博士の業績を讃える記事を掲載する書き物仕事を引き受けた。ノーベル賞受賞者である博士の自伝を先週からメモをとりながら読む。この案件に携わらなければ絶対に手に取らなかった書籍だ。本を一冊読めば、新たに知れることが山ほどある。

駅前の電機量販店でDVD再生機を検分する。プロジェクターに繋ぐ手前、端子の整合が必須になる。光デジタル出力端子は最新機種では同軸ケーブル端子に置き換えられていることを知る。八年も経てばデジタル規格の栄枯盛衰は免れない。

先週あたりから猛暑日が続投し、先週の三連休は東京だけで二百人が救急搬送されたと聞く。炎天下は四十度の暖房を常に眼前で当てられているような有様で、たしかに身体を壊さないほうがどうかしている。

 

七月一九日木曜日。

音響機器の製品カタログづくりは日銭稼ぎの類いなので、一応そつなくこなす。今回は部分的な改訂版で作業箇所は多くない。昔はカタログ案件も多く手がけたが、今は極力積極的に関与することは控えている。誤植のリスクを背負いきれない。

夜は仕事仲間が経営するシェアオフィスの一周年パーティに出向く。ひさしぶりの渋谷。あいかわらずの群衆。行きつけの古着屋をのぞいたが、何も買わなかった。服は十分に足りている。満たされてしまうというのもなかなかつまらない。

帰りに一人で新宿三丁目の酒場に顔を出す。会社を共同経営していた頃、ビジネスパートナーとよく来ていた。地下にあるカウンター十席ほどの店。店内はほぼ暗闇。日付が変わって常連客の一人が誕生日になり、祝いをする。三十一歳だという。三十代はこれからだ。三十代はもしかすると人生でいちばん楽しい時期なのかもしれないと三十代最後の年になって思う。四十代を前にして、居心地のよい家から引っ越さなければならなくなったような、一抹の淋しさを噛み締める。タクシーで帰路につく。

 

七月二十日金曜日。

自分に甘く他人に厳しいことで定評のある取引先の事務所経営者と、電話で三件の請求金額の折衝をする。この社長は請求の段になると毎度決まって連絡が滞る。

人づてに、ある老舗の広告制作会社が倒産した話を耳にした。知り合いがかつて何人も働いていた会社だった。ひどく驚いたが、どこかで「やっとか」という思いもある。資金繰りが思わしくない様子は耳に入っていた。今日折衝をした会社も、万が一のことはないとも言いきれない。自分が債権者になるなど、まるで気の滅入る想像だ。

昨日のパーティで紹介してもらった社長と渋谷でランチをする。元リクルートの部長の肩書きを持つ人材コンサルタント。精力的でありながら物腰の穏やかな人物で、好感を持つ。波長が合う。仕事事例集を説明しながら話しこんでいるとあっという間に二時間が過ぎ去った。

夕方は天王洲アイルで、九月の展示会の依頼を受ける。大手不動産会社が今、物流センターを競い合うように建てており、その展示の案件。去年、物流会社の会社案内を製作したとき、物流業界について調べたが、今回はまた少し違った角度から考えてみることになる。

 

七月二一日土曜日。

広告仕事に取り組むときは、まず資料を読む。たいがいは本を数点読む。書籍という形で編んである情報は、やはり網羅性や深度から信用がある。一冊を読み切る満足感もある。時間の許すかぎり何日もかけて行う。仕事にかこつけて読書できるのは大いに愉しい。

いざコピーを書くときは、ノートと筆記具を持って喫茶店をはしごする。白紙のページを開き、ノートの中央に爪で折り目を付ける。左肩に案件名を記入して下線を引く。その下に一本目の文言を思うままに横書きする。一本目の出来映えを気にやむ必要はない。それを凝視しながら、もう少し違う言い回しや切り口や角度や情報で二本目のコピーを書く。同じことを繰り返しながらページを埋める。次のページの一本目を書くときは、できるだけ前頁の内容を忘れ、新たな気持ちで違うことを書いてみる。ときには敢えて振り切って真逆のことを書く。そして延々とそれを続け、四ページ分を埋める。これで百本になる。

三ページまではたいてい二時間ほどで到達する。しかし、最後のページでいつも難渋する。筆が止まる。ノートに眼を落として固まる時間が長くなる。苦悶する。喫茶店を変え、気分を変える。コピーを書きあぐねるときは、情報が足りていないときだ。また資料調べに戻ることもある。あるいはセレンディピティを期待して、別の作業に気を向けてみる。

それでも百本は必ず書き切る。これはルールであり、儀式だ。この百本は、和食割烹でいうところの出汁のようなものになる。しっかりした出汁が基層になければ、客前に出せる料理にはならない。四ページまでたどり着いたら、いったん寝かせるが、実際はその後にどんどん注ぎ足しながら六ページくらいまで書く。

オーストリアの映画『パラダイス三部作』を観る。第一作の『愛』が凄い。そもそも愛などというタイトルで映画を撮る度胸が凄い。彩度の高い光。音楽なし。無言の間。アンニュイなリズム。独特の気怠さと空虚な乱痴気騒ぎ。肥りじしを躊躇いもなく晒す年増女優たち。愛に飢えた人間はたやすくつけこまれるが、一見つけこまれているようでいて、じつのところ相補的に満たされているのかもしれない。

 

七月二二日日曜日。

日中の気温は連日、三十七度を超えている。もう一度書く。三十七度を超えている。体温を超えている。東京五輪まで丸二年となり、選手のみならず観客の脱水症状が危険水域に達していると誰もが思う。

NHK-BSのドキュメンタリー番組で、アメリカの国境警備民兵を見る。トランプ大統領は不法移民を阻止するための巨大壁の造成を宣言しているのは周知の通りで、その支持者たちが自ら民兵を組織して警備に当たり、密入国者を警備隊に引き渡したり狙撃したりしている。このあたりの事情はガエル・ガルシア・ベルナルが主演した映画『ノーエスケイプ』でも描かれている。

この番組で興味深いのは、民兵一人一人に密着して生の声を語っているところだ。ある男は建設作業員として働いていたが、不法移民が増えるにつれ、ダンピング価格で請け負う彼らに仕事が流れ、最盛期で八万ドルあった年収は一万ドルまで激減してしまった。別の男は自分は人種差別主義者ではないし、昔は家の前で行き倒れになっていたメキシカン青年に水をあげて介抱もしていたと語る。しかし、八年前に一番の親友が不法移民に射殺されてから態度を一変させた。

彼らを民兵に駆り立てる動機は八つ当たりという気もするが、一つ言えるのは、怒っている人は傷ついているということだ。加害者は、加害を実行するその瞬間まで自分こそが被害者だと信じている。

一方で、砂漠地帯を踏破して密入国してくる移民は中途で力尽きて餓死する人が後を絶たず、その人たちのために飲み水をルートに置いて回る女性や、十字架を立てて供養する人の姿も映される。女性は語る。「(民兵たちは)人が死ぬのがそんなに楽しいのかしら?」。かたや民兵は飲み水を見つけると廃棄して回っている。「あいつらは誰を助けているつもりなんだ?」

日本ではこんな高踏な問いを立てられる状況からはほど遠い。