七曜日のこと。

三十代最後の夏。あらゆることを忘却していく日常に人知れず危惧を憶え、一週間ごとの日誌をつけることにした。できるだけとりとめのない事柄を書き留めてみる。

第二週。時は偉大な作家だ。つねに完璧な結末を書く。

七月二三日月曜日。

五年ぶりの記録更新だった。気の滅入るような気温の話だ。アスファルトは火にかけたフライパンのようで、卵を落とせば機嫌よく焼けそうである。歩けば知らぬ間に伝う珠の汗。一秒ごとに灼けていく頬。空気が動かず、息を吸えば熱波の舌触り。見上げれば原色の眩い青。

三十七度超えという非常事態は今日まで、と予報されているものの、明日以降も三十五度には到達する見込みだ。三十五度ならいくぶん涼しいのかと錯覚してしまう程度には麻痺している。

久しぶりに豆を挽いてコーヒーを淹れ、ホットコーヒーを飲む。コロンビアのマグダレナ産シングルオリジンの浅煎り。グレープ果汁のような品のいい果実の香り。自分のためにドリップして飲むコーヒーは申し分なくおいしい。

夕方、カフェGOTOOで、物流センターのコピー書き。手書きノートで百本の手前で難渋している。最終的に使われるのは一本でも、百本をきちんと出し切っておくことで気づかされることが山ほどある。

夜はサイレント映画『街の灯』。チャップリンでは『サーカス』や『モダンタイムス』と並んで好きな作品。ラストシーンがハッピーエンドなのかアンハッピーエンドなのかを観客に委ねるという、すごい終わり方だ。しかも、バッドエンドであることはほのめかされている。

 

七月二四日火曜日。

午前中、いつも空いているサンマルク・カフェに行くと自習をする受験生がたくさんいる。夏休みに入ったことを知る。試験期間中の大学生も集団で勉強している。

物流センターのコピーは百本を越え、目に止まったものに印をつけていく。ひとまず三十本くらいをマックブックプロに打ち込む。手書きからテキストファイルに置き換わるだけで印象が一変する。画面上で言葉を組み換えたり、短く削ったりしながら整える。

今回の仕事で物流用語を新たに学んだ。「季節波動」とか。季節ごとの貨物量の増減を、変動ではなく波動と呼び習わすのは面白い。「メザニン」は倉庫内のロフト棚の名称。案件が終わればあらかた忘れていくが、またいつか別の案件できっと再会できると思う。

最後の豆を使い切るため、今日も珈琲をドリップする。豆を正確に計量し、カリタの電動ミルで挽き、ウェーブ・ドリッパーで抽出する。一連の作業自体が愉しい。部屋じゅうが馥郁たる香りで満たされる。

夕方、映画『ライムライト』を観る。高校以来、二十年以上ぶり。名台詞を書き取る。「時は偉大な作家だ。つねに完璧な結末を書く」「人生は意味じゃない。願望だ」「みんなに親切にされるといっそう孤独を感じる」。

夜にもう一本。『インポート、エクスポート』。ウルリッヒザイドル監督はかなり癖になる映画作家だ。ユニークな画。無口な主人公たち。説明を削ぎ落としたカットつなぎ。突き放した演出。カウリスマキっぽい。自分から歩み寄って拾いにいかないと掴めないところがいい。自分で前のめりになって触れにいった映画は、観終わった後も身体に残る。こういう映画をもっと観たい。

深夜、突然の豪雨。一時間ばかり降り続く。雨音を聴きながら物流センターのコピーと訴求ポイントをパワーポイントで仕上げる。街が久しぶりに潤った。

 

七月二五日水曜日。

今日も午前中はサンマルクカフェにいる。おそろしく空いている。本を読む。『年収90万円で東京ハッピーライフ』。かなり興味深い内容。週休五日で暮らす著者の生活は自分の日常とも似ていて、膝を打つ箇所が山ほどある。

〈人の注目を引くことが目的になってる言動は、およそ個性とはかけ離れたものです。意識した瞬間にちゃんと嘘くさくなったり、無理してるっぽくなるんだから、よくできてるなあと思う。〉

このあたりの勘所はコピーライティングにも当てはまる話だ。

最近はレコード熱が再燃して、家で作業するときには傍らのレコードプレーヤーを廻している。五曲ごとに盤面を裏返すのは正直億劫だが、このひと手間があるからこそ、レコードは一曲ずつちゃんと聴こうとアフォードする効果がある。音質の良さを聴き分ける耳は持ち合わせていないが、荒井由実YMOスプリングスティーンiTunesでは聴く気が起こらないのにレコードならしみじみ聴きたくなる。『私のフランソワーズ』みたいな哀愁のある曲を聴いていると、もう秋かなあという気分になってくる。夏真っ盛りだけど。

先週出会ったリクルート出身のコンサルタントから、一度求人広告の取材案件をやってみませんかと打診される。正直に言えば、新人ライターの仕事のようなものなので気乗りしないのだが、取材を通していろいろな専門家や経営者に質問をできるのは好きだし、一日か二日で原稿を仕上げるスピード感なのでかえって負担でもなく、引き受けてみることにした。

今日の映画は、ソフィア・コッポラの『SOMEWHERE』と『ビガイルド』。どちらも一時間半ほどの小品という感じで、こういうのをサクッと撮れて手堅くまとめられるあたりが物凄い。

夜、母から電話で長話。リタイア後を東京と京都で二拠点生活している母は、今日京都から戻ってきたばかりだった。太陽の塔の内部見学ツアーの話、来月の大文字の送り火をホテルの最上階レストランで見る話、昔のガムラン教室の近況など母は話したいことが山のようにあったらしい。長電話になったので、エールビールを開けてグラスで飲みながら話を聞く。

 

七月二六日木曜日。

うまく寝付けず、朝になる。睡眠が不調になると、てきめんに体調が悪い。

企業ブランディングを主に手がける製作監督に声をかけられ、昼下がりに渋谷の事務所を訪ねる。来週依頼を受ける新案件の下打ち合わせ。依頼人3Dプリンターのコンサルテーションを手がけるスタートアップ。華麗な経歴を持つボードメンバーが集って立ち上げた会社で、業務内容も先進的だ。下調べして質問を準備して臨むことを求められる。

打ち合わせは早々に切り上げ、株式相場と投資した銘柄の値動きの話を聞かせてもらう。資産運用はそろそろやらなくてはとずっと思っている。間近で話を聞けると刺激になる。

彼はアナログレコードのショールームとオーディオの販売も手掛けていて、うちの仕事場のオーディオセッティングを相談してみる。予算に合わせて提案をしてくれてかなり気分が上がる。オーディオ一式を揃えるのはリノベーションの総仕上げになる。

ホームシアターのブルーレイ再生機がいよいよ寿命で、電気量販店に赴き、ソニー製の最安値の製品を買う。家で接続する。スクリーンの画角を合わせるのに難渋する。再生機とプロジェクターの設定を交互に変えていたらようやく一致した。どこの項目が作用したのか分からないくらい偶然だったので、非常におぼつかない。

夜は録画していたテレビ番組をまとめて見る。テレ朝「激レアさんを連れてきた」。バックギャモン世界チャンピオンの女性。必ず一年に十個の人生初挑戦を課す、というルールを小学生から欠かさずこなしているというのは面白い。

NHKドキュメント72時間」。デパートコスメ売場。湯治場の玉川温泉。板橋のバク転教室。池尻の大橋病院の引越日。日本ダービーの徹夜行列。どの放送回も本当に素晴らしい。真剣に仕事をする人、本当に好きなことに一生懸命な人。今を生きる日本人の姿にわけもなく泣きそうになる。

NHK-BS「英雄たちの選択」。笹森儀助。明治時代に沖縄へ製糖の調査を訪れ、人頭税や風土病など本土の人々が知らされなかった沖縄の現状を世間に伝えた人物。自分のやるべきことを見定めた類い稀なる高潔さに泣きそうになる。

 

七月二七日金曜日。

今日は作業が四件立てこみ、朝九時から夕方までずっと机に張り付いて仕事をした。こんな日は最近は珍しい。月末が近づき、三件の請求書を送付する。

今日の気温は三十度ほどで、窓を開けて扇風機を身体に当てるだけで快適に過ごせる。明日は台風で暴風雨の見込み。夕刻、駅前の仕立屋にシャツの袖丈を直してもらいにいく。カフェGOTOOで読書。

春先に背丈ほどの高さがある大きな柱サボテンを買い、窓横の壁際に置いているので、鉢カバーを買おうと、暇があればピンタレストを眺めている。できればセメントでできたような無骨なものがいい。サイズが植木鉢の二回りは大きいので床に置くと嵩を取る。慎重に採寸した上で買わないと収まらない可能性もある。

今日の映画は『トニー滝谷』。観るのは四度目くらい。それでも十年ぶり。一時間ほどの小品で、折にふれて見返したくなる。横移動のアングルでカットを繋ぐリズムが心地いい。イッセー尾形の存在感もいいし、西島秀俊の低温なナレーションもいい、

深夜にもう一本、ロシア映画の『宇宙飛行士の医者』。タルコフスキーっぽい画と、ゴダールっぽい会話。今ATG映画を撮ろうとすればこうなるのだろうという感じ。会話する主人公の前を通行人や車が行き交いほとんど隠れてしまうカットなどは面白い。人には勧めにくいが、好みの作品だった。音楽もないので深夜に静かに観るのに適している。

 

 七月二八日土曜日。

台風が東の海上から西へたどる前例のない動きを見せ、夕方には関東も暴風域に入ると警報が出ている。昨日は朝から雨という予報だったが、夕方から夜にずれこんだ。日中気温は二十七度で過ごしやすい。

せっかく涼しいので久々に野菜スープを作る。ごぼう、セロリ、白茄子、パプリカ、しめじ、玉ねぎ。八百屋で目についた野菜を買い、賽の目切りにしてコンソメで味付けをする。木製の俎板に買い換えたので、包丁で刻む音がリズミカルに響いて心地いい。

夕方、ミニマルのぶっさんが仕事の用事のついでに遊びに来る。今嵌まっているレコードを聴かせ、お勧めのDVDを四枚貸す。ミニマルの新商品の話を聞く。サブスクリプションに申し込んだので毎月新作チョコレートが届く。

夜、ベルナルド・ベルトルッチのデビュー作『殺し』。1962年製作。ストーリーは、娼婦殺しをめぐって夜の公園にいた四人の若者の回想が順々に描かれ、真相にたどり着く話。イタリア版『羅生門』といった趣き。夜の公園で全員の動きをワンカットで見せるミッドポイントの三分間はとてもスリリング。融通無碍に動くカメラ。昔のイタリア映画を見ているとネクタイを締めてジャケットを着て歩くのはお洒落でいいと思う。日頃スーツを着用しないだけに、たまにわけもなく着たくなる。 

台風は東京には直撃せず、家の周りは小雨で通り過ぎた。

 

 七月二九日日曜日。

気温は二日間の小休止を経て、また暑さが平常運転に戻った。冷蔵庫で冷やしている野菜スープをそのままご飯にかけて冷汁のようにして食べる。涼しげで美味しい。

映画をまとめて見る。『ペテン師とサギ師』。高校生の頃に好きだった映画。今観ても面白かった。『スタンドバイミー』と『旅立ちの時』はリヴァー・フェニックスの主演映画。『スタンドバイミー』は中学生のときに大好きで、友達と鎌倉まで江ノ電の線路を歩きに行った。今なら炎上必至で書類送検されるのだろう。映画は今観てもやっぱりよかった。80年代のハリウッドはこういう良質な少年映画を量産していた。『グーニーズ』も『バックトゥザフューチャー』も最高で永遠の少年映画だ。フィリピン映画の『立ち去った女』。四時間の長尺。フィックス長回し。美しすぎるモノクローム。それでもやはり長すぎるかな。

映画も、漫画も、絵画も、ファッションも、料理も、世界的に影響を与え、一般的な知名度もある日本人が一定数いるが、音楽にその人材がいないことが不思議な気がする。坂本龍一武満徹X JAPAN小澤征爾宇多田ヒカルも、まだニッチな存在だろう。これから何十年か経てば状況も変わるだろうか。文学も同様だ。村上春樹がようやくそのきっかけを掴んだところか。世界的な音楽家や文学者が日本にもいてほしいなと、映画を見ながらそんなことを考えていた。

無印良品のサイトから西日本豪雨の募金をする。三千円。もう三週間も経つのにサイトでは三百万円にも満たず、あまりに少ないと不憫に思った。たかが三千円程度では焼け石に水なのは無論判っているが。